発達障害は、遺伝の要因があると言われています。
発達障害が遺伝するというよりも、特性が遺伝するので、特性の組み合わせや強さによって、発達障害になりやすいというものみたいです。
私の家族
我が家の場合は、私の家族に高機能自閉症らしき人が多いなと感じています。
私の両親ともに、高IQの自閉症+ADHDで
兄は高IQの自閉症ではと思っています。(未診断なので、私がそう感じているだけです。)
特性はそれぞれですが、3人とも勉強が得意で学歴が高く、高所得です。
私はというと、中学までは学年トップの成績でしたが、突き抜けて勉強ができるわけでもなく、
全体的に中途半端。稼げる仕事にも就いていません。
だからある意味、
自閉症らしき両親と兄の方が、一般的に見ると成功した人生を送っているのです。
けれどその内面を知っている私は、複雑な気持ちになります。
なんの支援も受けず育っている人たちなので、自己対処で色々と潜り抜けている部分はあります。
そこは知能の高さ故なのかもしれません。
他者への無関心
この他者というのは、他人というだけでなく、家族についてもです。
基本的に人の心に興味がありません。(特定の人への執着心はあります)
私の兄
兄は、人と交流しようともしません。関心がないことはやりたくないのです。
友達が欲しいという感情もない様子。
なので仕事での人間関係でストレスを抱えやすいようです。
特に飲み会の場が苦痛と話していました。
しかし、特定の人への愛情深さはあり、家族思いです。
無口なのですが、私には優しくて話も聞いてくれるし、
私にとっては大切な良き兄です。
両親
両親は擬態しています。一見社交的に見えます。
表面上は私よりも社交性が高いのです。
仕事として形式的に人と交流することはできます。
対外的に社交的に見える両親は
心の中では誰にも興味がなく、孤独に見えます。
いわゆる友達がいません。
それを全く必要としていないというのであれば、寂しくもないと思うのですが、
本当は友達がいたら良いなと思っているみたいなのです。
自分の好きなことを語り合いたいという気持ちがあるみたいなのです。
でも、常にバリアを張っていて
人に心の内を見せることができないのでその機会は訪れません。
そして、人に興味はないけれど、自分の話は聞いて欲しいのです。
だから友達がいないんだろうなと思います。
なので結局、家族に対して自分語りが多いです。
このあたりがカブ君にそっくり。
カブ君も家族に対して自分の話したい話を話し続ける一方で、
外ではバリア張っています。
たまに実家に行くと、両親は何時間も一方的に話し続けます。
私のことや孫への関心は低いです。
会話が一方通行なので、話していて疲れます。
そして、孫と遊ぶということもほとんどありません。
私が両親の目の前で、子供たちのことで手が回らなくなっていても、
手伝ってくれるわけでなく自分たちの好きなことをしています。
子供だからとか孫だからとかではなく、
「こういう状況なら普通は手を貸す」という状況でも、全く手を貸しません。
話が通じない両親に育てられて寂しかった子供時代
虐待されたわけでもなく、毒親というわけでもないのですが、違和感のある家庭でした。
一見ニコニコしていて、人当たりも良い両親。
2人とも、さらに強烈な親(おそらく発達障害)に育てられているので
良い家族への憧れや、良い家庭を作りたいという気持ちは強かったようです。
なので、形はきちんとしている育児や教育だったと思います。
型どおりにするのは得意な両親です。
いつも家の中は綺麗で、料理もきちんとしていて、イベントごとも大切にしてくれて。
けれど全てが一方的でした。
子供の意見は聞かない。興味もない。
何か寂しいなという感情はずっとあって、大人になって気づいたのは
「子供の心に関心がないんだ」ということでした。
これに気づいたとき、衝撃でした。
愛されていなかったのかもしれない・・・。と。
両親の色々と不思議だった言動の点と点が線で繋がりました。
修学旅行の苦い思い出
私が小学生の時の修学旅行のエピソードです。
駅まで母が送ってくれました。
友達に会って、親が隣にいることが恥ずかしくなった私は母に、
「来なくて良かったのに!もう帰って!」と言いました。
生意気な口ばかりきいてた反抗期だったなと思います。
修学旅行から帰ってきて、駅にはお母さんたちが沢山お迎えに来ていました。
私も母が来ると思って、待っていましたが、
ついに母は来なくて、先生が家まで送ってくれました・・・。
「なんで迎えに来なかったの?」と聞くと
「来なくて良いって言ったから」とあっけらかんと言うのです。
行きの時の、私の態度が生意気だったとか傷ついたとかならわかるのですが、
そこに感情はなく、
ただ、言葉通りに受け取って迎えに行かなかったのです。
全てにおいて、いつもそういう母でした。
自分が子供を産むと、初めての修学旅行なんて心配もするし、早く子供の顔が見たいとか、だから送り迎えも行くんだなとか、色々と思います。
そういう子供に対する感情が一切ない母なので、
仕事としての送り迎えや家事はするけれど、感情は伴っていないのです。
だから、育児を大変とも思わなかったそう。
けれど両親は、両親なりに愛情をもって育てたと話しています。
その通り、私の考え方と違うだけで、
両親なりには愛してくれていたのだと今は思ってはいます。
もしかして発達障害?と思ったときのショック
カブ君が普通と違う感じがすると思ったときに、遺伝的にも発達障害の可能性は高いなぁと思いました。
しかしそれは私の中で葛藤でした。
発達障害というものを受け入れられないわけではなく、
カブ君も私の両親と同類なんだということの葛藤でした。
優しい子であって欲しい。
人の気持ちがわかる子であって欲しい。
でも、私の両親と同類だったら、それは難しいと。。
この子は遺伝的に自閉症から逃れようがなく、生まれるべくして生まれたのだと。
そう思うと泣けてきました。
発達障害の見えている世界
カブ君を育てて初めて気づいたこと。
人はみんな違うのは当然だけれど・・・
発達障害の人と、定型発達の人は見えている世界が全然違うということ。
少し前に母が言っていました。
「共感力が低いっていうけど、定型発達の人は発達障害の気持ちに共感なんてしてくれない。定型発達の感覚を押し付けようとしてくる。私は発達障害の人の気持ちならわかる。」
その言葉にはハッとさせられました。
共感力の低い母でも、同じような思考の人たちの中では共感しあえるのだなと。
また、母はこんなことも言っていました。
「私、本当は宇宙人なのかも。地球の調査に来ただけなのかも。だって、地球が合わなすぎるから」
母が生きづらいという話は
子供のころからずっと聞かされていました。
生きづらさからスピリチュアルに傾倒したり・・・。
「宇宙人かも」という話も、また何かの本で読んだのだなと、また始まったなという程度に思っていました。
でも、
自分が宇宙人だと思うほどに合わない世界に生まれてきてるのだなと思うとちょっと切なくなります。
カブくんも、「僕は機械でできている」といつも言います。
人間型のロボットらしいです。
みんなと違う自分というのを、なんとなく感じているのかも。
同じ世界で暮らしているのに、見え方が全然違う。
感じることも全部違う。
「普通は」というのが、普通が違うから通じない。
自分とは違う考えや価値観の、押し付けの嵐の中を生きている。
少数派だから生きづらい。
両親を通じて、初めて気づきました。
定型発達の視点だと考えられないことが沢山ある。
寂しい子供時代だったし、なんでこんな親の元に生まれたんだろうと何度も思いました。
でも、私には気付けないことを、父と母と兄は気づかせてくれる。
生まれるべくして生まれたカブ君。
カブ君のお陰で、両親のことについても深く考え、
好きではなかった両親のことを、ようやく許せました。
そして、両親なりに一生懸命子育てしてくれていたんだなと改めて感じました。
両親は、カブ君を認めてくれる良き存在となっています。
家族の支え
カブ君は、家では多弁で落ち着きがないのに、
外ではほとんど言葉を話さなくて大人しいことが多いです。
そんなカブ君に対し、私の父は言いました。
「俺の子供の頃にそっくりだ」
父も子供時代、慣れている人の前だと多弁で落ち着きがなく、知らない人の前だと大人しかったというのです。
また、図鑑や数学が大好きなのです。
父はカブ君の良き理解者です。
数字や文字が好きで、知的好奇心が高いカブ君を気に入っています。
母もカブ君のことを理解してくれます。
「人に興味なくたって良いんだよ。カブ君はそのままで良いんだよ」
と言います。
両親や兄の生きづらさも知っているし、
私はどうしても、カブ君がそのままで良いとは思えません。
大多数の定型発達の人たちの考えや感情が理解できなくても、
想像することができた方が生きやすい。
人への興味も、全くなければ良いけれど、
少しでも興味があるなら、人との距離感を掴めるようになった方が良い。
ありのままのカブ君では生きづらすぎるから。
カブ君を受け入れながらも、生きづらさは軽減できたら良いなと思っています。
でも、カブ君を否定せず、常識を押し付けず、
「そのままのカブ君が素敵だよ」と言ってくれる祖父母がいることは、カブ君にとって良かったなと思うのです。
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